「うっせぇわ」について思うこと

最近賛否両論が巻き起こっている、Adoさんの「うっせぇわ」という楽曲。今回はこれについて思うところをつらつらと書いていきたいと思います。



個人的な感覚では、ティーンエイジャーを中心に支持されていて、親御さんの世代からは子供への悪影響が~とか騒がれてるイメージがあります。

そりゃいきなり自分の子どもが「うっせぇわ!」とか言い出したら誰だって驚くのは当然のことでしょう。


それはさておき、まずなぜこんなに流行ったのかという僕の考えを少し。


1番は共感を得てるとこなのかなぁと思います。誰だってこの歌詞のレベルほど強烈ではなくとも、日常生活の中でこうした感情は少なからず生まれてるものだと思います。僕もあるし。


そして普段はそれを上手く抑えたり、趣味で発散したりして皆さん過ごしてると思います。それがストレスになってることも多々あるでしょう。そんな感情をもろに、強烈に、この曲は歌ってくれてるわけで、聞いてて痛快な気分にもなるし、ストレス発散にもなってるんだと思います。


テレビでも毒舌キャラが人気になるように、言いたいことをバンバン言ってくれる存在というのは大きい。僕も何でも言っちゃう側の人間ですが、言いたくても言えない、という人もたくさんいると思います。


そうした人にとって、何でも言ってくれる存在は力をくれるし、その存在に共感してる人達をネット上で見るだけで、「こんなにも同じ気持ちの人がいたんだ😭」とかなって救われることもあるんじゃないでしょうか、しらんけど()


だからまぁ、この曲で気分が良くなるかは別として、全く1㍉も共感できないという人は少ないのではなかろうかと思います。



僕はこの曲にドハマりしてたり大好きな人に対して、特に何も思いません。イタいとか、厨二だとか感じないです。ぶっちゃけ自分もそんな感じだし。


ただ、大の大人がひたすらこの曲のようにしてるのはいかがなものかとは思います。学生ぐらいまでは、自分じゃどうしようもない環境要因とかもあるし、ただひたすらに内面で「うっせぇわ」と思ってる時期はあってもいいと思います。特に反抗期とかまさに親に対してこういう状態なんじゃないですかね、自分は無かったからわかんないけど(隙あらば自)。


けれどもやっぱり最後は自分を含め、変えていく必要がある。ただただ「うっせぇわ」と思ってたって周りは変わってはくれないし、自分にストレスがかかり続けるだけです。


僕がこの曲で唯一気に入らないのは "自分は天才、周りは凡人。頭のできが違うからもうしょうがない" という諦念があるところです。


学生ならどうせ卒業したら関わらないし、それでいいのかもしれません。しかし社会人になるとそうもいかない。どんなに気が合わない人とでも一緒に仕事はしないといけないし、どんなに無理な人でも上司は上司なんです。転職したって多分また似たような人がいることでしょう。


だから少しは自分も変わらなきゃいけない。そのためのエネルギー源が、こういう「うっせぇわ」という感情なんだと思います。何かを変える時というのは、よかれあしかれ "現状に不満足" である時だと思います。


一時的にこの曲を心の拠り所にするのはいいけど、いつかは自力で周りと折り合いをつけないといけないと、僕はこの曲を聴いてそう思うわけでした。



世の中難しいね。