努力が身を結ぶ話
お久しぶりです。夏休みが暇すぎてブログもたくさん書けたらいいなぁと思う今日この頃です。
さて、皆さん
『努力』してますか?
まぁ人それぞれですよね笑
いきなり上から何なんだ😠と思われるかもしれませんが、今日はその『努力』について書こうかと思います。
まず初めに『雨乞い』をご存知でしょうか?
日本で古くから行われてきた雨を降らせるための儀式みたいなものです。やり方はそれぞれあって、演舞をしたり、祈祷したりと気になる方は調べてみてください。
そんな雨乞いですが、なぜ古くから各地で行われてきたかと言うと、“成功率が高い”からだと思います。
「そんな馬鹿な」「意図的に気象なんて操れるはずがない」と思う方がほとんどでしょう。まさか本当に神様に願いが通じて雨が降るなんて、当時の人達以外は考えないと思います。
実際、(たぶんそうだと思いますが)神様の力とかでは無いと思います。勿論、当時の人々はそれが信仰によるものだと信じてたからこそ、雨乞いの文化が続いてきたのでしょう。
じゃあなぜ成功率が高いのか?
それは単純な話で、“雨が降るまで雨乞いを続けたから”に尽きます。
なんじゃそりゃ笑って感じでしょうけど、おそらくそういう事だと思います。
雨が降るまで続ければ、雨乞いは見かけ上成功と言えます(勿論実際には雨乞い関係なく、たまたま雨が降っただけです)。
でもまぁ必死に雨乞いの儀式をして、やっと雨が降ったわけだし、「雨乞いが成功した!」って思わないとやってられない気もしますね笑。
とにかく雨が降るまで続ければ、雨乞いは100%成功するわけです。
これで長い前座が終わりまして、ようやく本題の『努力』について入ろうと思います。長らくお待たせしました🙇🏻
“努力が実を結ぶか?”という問いには本当に人それぞれの回答があるかと思います。「絶対に実を結ぶ」という人もいれば「必ずしもそうではない」という方まで多様ですよね。
特にどの意見が正しいか、間違っているかなんてことも無いと思います。ここではあくまで僕の考えをお示しするのみです。したがって、あくまで “1つの意見に過ぎない” ことを念頭に置いて読み進めていたたければと思います。
で、僕がどう考えているかというと、まさに前の『雨乞い』と同じようなものだと考えています。
『努力が実を結ぶ』というのはすなわち、『雨が降るまで雨乞いを続けた』ということと全く同じです。雨は時と場合によってはすぐに降ってくれるかもしれないし、全然降ってくれないこともあるでしょう。
“雨乞いをしても雨が降らなかった” のではなく “雨が降る前に雨乞いをやめてしまった” というのが、僕の意見です。
逆に、雨が降る気配が無くても、ひたすら雨乞いを続けきることができた人は、『努力が実った人』ということになります。
なので夢が叶うまで努力をすれば、いつかは叶うということになるのですが、それがいつかはわからないんです。
人間には寿命という大きなタイムリミットがあるわけですし、その中でも “制限時間” に縛られる場面は多々あるかと思います。
その辺りの話はまた別に書こうと思いますので、今回は割愛しますが。
この雨乞い理論はけっこう応用が利かせられる話で、「〜が見つからない」とか「〜できない」みたいな時にも、見つかるまで探したり、できるまでトライするといった捉え方ができるようになったりもします(それが正しいかどうかは別ですが)。
あとは雨乞いを続けられる体力、精神力にかかってきます。そこはもう完全に人それぞれだと思うので特に言及はしません。
「この雨乞いが成功するか?」と考えることも勿論大事ですが、「雨が降るまで雨乞いし続ければいいんだ」と考えるのも、これまた必要なのかも知れません。