誰が為のアンチテーゼ

お久しぶりです、SEED:Pです。

普段文章を書く時は、内容が先にあって最後にタイトルつけるタイプなのですが、今回は珍しくタイトルが先に浮かんで来たので、そのまま筆を走らせようと思います。


さてタイトルにある「アンチテーゼ」という単語は聞き慣れない方が多いかと思います。自分も高校の倫理以外で耳にしたことはないです。


これは哲学者のヘーゲルが提唱した「弁証法」という考え方の一端です。まずそちらについて解説します。


世の中にはたくさんの命題 (意見と言ってもいいでしょう) があります。そしてそれには必ず対立する命題 (反対意見) が存在します。

これらがぶつかり合うことでより良い意見が生まれるのは、日々会議や討論がなされることの意味にもなるかと思います。

こうして2つの相反する意見の衝突によって、よりレベルの高い意見にまとまり、これが繰り返すというのがヘーゲル弁証法です (わかりやすさのために、だいぶざっくり説明してます笑) 。


ここでの命題を「テーゼ」、対立命題を「アンチテーゼ」、最後にまとまった命題を「ジンテーゼ」と言います。


1つ例を挙げると、「高校は制服がいい」というのをテーゼ、「高校は私服がいい」というのをアンチテーゼだとします。この両者がぶつかると、「制服も買えるが、私服で登校してもよい」みたいな意見になったとします (あくまで一例です) 。この最終意見をジンテーゼと言います。

そしてこの一連の流れ(テーゼとアンチテーゼがぶつかりジンテーゼになること)を「アウフヘーベン」と言います。


お分かりいただけましたでしょうか?笑
「いきなりこんな話をして何なんだ」とお思いのことでしょう。

しかしここまでは前置きで、これから本題に入ります(お疲れの方は一旦休憩してもいいかもしれませんね☕)。


自分はこのヘーゲル弁証法はとてもしっくりきています。まぁわりと現代的な考え方なのかもしれません。


そして「自分は他人にとって、世間にとってのアンチテーゼでありたい」というのが秘かなパッションとしてあるわけです。

"あまのじゃく"とか"逆張り"とか思われるかもしれませんし、実際その側面もあるかと思います。


自分はある命題がアウフヘーベン無しではとても脆いものだと考えていて、説得力も無ければ、独り善がりなものになると思ってます。

だからこそ自分のアイディアに対するアンチテーゼは大歓迎だし(なんなら自分から探しに行くぐらい)、他人のアイディアに対しても何かしらアンチテーゼを当てたいんです(これはなかなか難しい時もありますが)。


これはテーゼの側とアンチテーゼの側と、どちらのためにもなるシステムだと思っています。あくまでアウフヘーベンとは双方の要素を組み入れた新しい命題へと昇華することであり、どちらか一方の命題が勝ち上がるようなものではないからです。

ここまで読むとただの面倒臭い人になってるかもしれません笑

あまのじゃくや逆張りと違うのは(少なくとも自分でそう思っているのは)、言動に根拠があること、他の意見や主張も理解した上でのアンチテーゼであることです。

ただ頭ごなしに否定、反論するつもりは無いですし、それでは「高い次元に昇華する」という弁証法の話とはずれてしまいます。


あくまでも自己を高めるため、他人と高め合うためのプロセスだと自分は認識しています。


現代では周りと同調するような風潮が多々見受けられ、 "本当に自分らしいこと" がやりにくく、息苦しさを感じる場面もあるかと思います。

でも自分の中で確たる思い、主張があれば周り関係なくぶつけてみても良いかと思います。

そんな中でこのような考え方がその一助になれば幸いです。


誰かにとってのアンチテーゼであること、意外と悪くもないんじゃないですか?